西暦一八八二年、敦賀に鉄道が開通し、来年二〇一二年には開業百三十周年を迎えます。それにちなみ。小牧がうまれた敦賀の鉄道の歴史を特集します。
敦賀で最初に汽笛がきこえたのは1882年(明治15年)3月10日。日本初の鉄道が開通した10年後のことでした。リアス式海岸特有の本土に深くくい込む地形、日本海に面し、三方を山々に囲まれ、現在でもこの敦賀は交通の難所として知られています。しかし、この地形が天然の良港をつくりだしており、古くから船舶において物流の盛んな港町でした。日本海側でも有数の重要拠点として発展した敦賀、日本海側初の鉄道の開業により、一層国際港としての役割が重要視されてきました。
鉄道の開業から20年後の1902年(明治35年)敦賀港からウラジオストクへの航路が開設されました。1899年に国際貿易港に指定された敦賀とウラジオストク間を日本海航路で結び、シベリア鉄道を経てヨーロッパ諸国を結ぶという壮大なものでした。航路開設後の敦賀は、ますます対岸諸国との物流や人と人の交流が盛んになり国際色豊かな街並みが形成されてきました。
ウラジオストク航路が開設され始めるとその接続列車として、1912年に欧亜国際連絡列車が開通しました。欧亜国際連絡列車は、東京(当時は新橋駅)と敦賀港(当時は金ヶ崎駅、その後敦賀港駅に改称)を結ぶ直通列車で、これにより、東京~敦賀~ウラジオストク~パリという一大経路が形成されたのです。開通までは海路で40日間かかっていた東京~パリ間もわずか17日間で結ばれるようになり、敦賀港の魅力には計り知れないものがありました。
その後も、敦賀港は様々なドラマをうみ出しており、1920年には極寒の地シベリアからのポーランド孤児をのせた船を敦賀港で迎え入れたり、第二次世界大戦中の1940年にはドイツの迫害から逃れるため、希望を求めたユダヤ人を敦賀港が受け入れを行い敦賀は人道の港と言われております。
現在でも敦賀駅周辺には「転車台」や「給水塔」、敦賀港駅周辺には「ランプ小屋」や敦賀の発展に寄与した「旧大和田銀行」、「旧敦賀港駅舎(再現)」などが残されております。
第二次世界大戦の後、日本経済の発展に伴い、空の便などの利便性が増したことから、敦賀港は、旅客扱いの停止や物流の縮小などにより、国際連絡列車の運行も消滅しました。
そして、敦賀の鉄道が誕生してから百三十年後の今、アジア勢力の台頭をはじめ、世界はまた大きな転換の兆しを迎える中で、敦賀も新たな可能性に向けて動き始めています。
時代の流れの中、数々のドラマをうみ出した敦賀駅、敦賀港の歴史と浪漫が海の香りとともに感じることができます。
資料提供:日本鉄道OB会敦賀支部
「百年の国鉄車両」(昭和49年、日本国有鉄道編集、交友社発行)より
